今月の1シーン
2009年1月9日の写真の説明
2009年01月09日
トップページのフラッシュ動画(アショカピラー)について
今から二五〇〇年前、お釈迦さまによって興された仏教は、その後、一三〇年を経たアショカ王の仏教帰依により、全インドに広がりました。
王はお釈迦さまのご遺徳を偲ぶため自らお釈迦さまの聖地を巡拝し、供養したのです。そして聖地を訪れた記念に「ここがお釈迦さま誕生の地である」と法勅文を刻み、アショカピラー(石柱)を記念に建てたのです。
その後このアショカピラーは、現在に至る長い年月の間に、地に埋れ行方不明になってしまいました。それが近年続々と発見され、法勅文の内容から今まで不明であった、当時のアショカ王の仏教保護に関すること、政治理念に関すること、領土のこと、種族のことなどが解明されたのです。
それはアショカ王の法勅文といって、岩に刻まれた十四の文から成るものや、石柱に刻まれた六つの文章から成るもの、あるいはお釈迦さまの聖地であると刻んだもの、お坊さんが仏教の戒律を守るよう刻んだもの等が残されています。
現在私達が仏教聖地を、ここが確実にお釈迦さまの聖地として訪れることが出来るのは、これらのアショカ王の法勅文によるからなのです。お釈迦さま誕生の地ルンビニ-には「この地がお釈迦さま誕生の地である。よってここに石柱を建て、記念とする」という文章が書かれています。
1枚目
アショカピラー頭部(インド博物館)
2枚目
アショカピラー(バイシャリ)
3枚目
トプラー法勅石(デリー市内)
トプラー法勅文概要(第一章)
アショカ王はこのように宣言された。王の灌頂後26年、この法勅を書き記す。現在・未来においての幸福は「法」に帰依し、自己を反省し、そして従順に、恐れを慎み、努力しなければ幸福は得られない。王の大官たちも身分の差はあるが、王の「法」による教えを受け、その教えに従って国を守り、計らい、言葉を慎んでいる。
4枚目
ギルナール法勅石(デリー市内)
ギルナール法勅文概要(第七章)
アショカ王は彼の領土の中に、すべての宗派の人々が平和に友好的に住むことを望んでいる。そしてこれらの人々が自制と清浄のこころを持つことを願っている。
今月の写真の説明/文責・青森直樹
参考資料『お釈迦さまの地 インド』 文・写真 久保尚志 すねいる発行