今月の1シーン
2012年3月の写真の説明
2012年03月01日
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『出家とその弟子』の倉田百三(くらた ひゃくぞう)
『歎異抄』をもとに親鸞聖人と唯円房を描いた戯曲『出家とその弟子』。
大正6年(1917)に岩波書店が出版し、ベストセラーになりました。
『出家とその弟子』の著者の倉田百三は、明治24年(1891)三上郡庄原村、今の庄原市中本町の呉服商に生まれました。庄原市は広島県の北東部に位置します。姉四人、妹が二人の七人兄弟の長男でした。
『出家とその弟子』は百三が26歳の時の作品で、切実な青年期の悩み、二人の姉の早すぎる死による人生の無常を抱えながら執筆しました。
庄原市の倉田百三文学館には百三の写真、遺品、手紙などおよそ400点が展示されています。特にインクの跡や傷のついた机からは、作品を次々と発表した強い創作欲が伝わってきます。
『出家とその弟子』を書いた背景には、『歎異抄』と『聖書』の影響があるといいます。若き百三は自分の苦悩を通して『歎異抄』を読みました。
「あなたの苦しみはすべての人間の持たねばならぬ苦しみです。」
すねいるの伝声板(メッセージ)
新作DVD作品 「出家とその弟子」 3月中旬発売
フラッシュ動画について
1枚目
出家とその弟子
『出家とその弟子』は、倉田百三が26歳の若さで書いた作品です。
百三は庄原市東本町の上野池のほとりにある別荘のはなれで、病気の療養生活をしながら一部を執筆したといいます。
この絵は吹雪のために道に迷った親鸞聖人(左側)が、唯円房の父の日野左衛門(右側)に一夜の宿を請うが、断られて棒で打ちのめされる場面です。
2枚目
倉田百三
この写真は百三25歳頃の写真です。
百三は生涯病気に苦しみました。若き時期に苦悩し、哲学者の西田幾多郎(にしだ きたろう)、一燈園の西田天香(にしだ てんこう)らの教えを受けました。
昭和18年(1943)、52歳の時に東京の大森で亡くなりました。
写真提供/庄原市田園文化センター 倉田百三文学館
3枚目
倉田百三の机
百三が愛用した机です。
この机は、倉田百三文学館に展示されているものです。
パンフレットも用意され、百三を偲びながら庄原の町を歩くことができます。
4枚目
『出家とその弟子』の親鸞像
倉田百三が書いた『出家とその弟子』の親鸞の言葉には、百三自身の苦悩が表れています。
百三が描いた親鸞像は、浄土真宗を説き弘めて輝くような人生を送った人ではなく、私たちと同じように一人の父親として悩み、生きることに苦しんだ「人間親鸞」でした。
「あなたの苦しみはすべての人間の持たねばならぬ苦しみです。」
新作DVD作品「出家とその弟子」 3月月中旬発売
撮影協力・資料提供/庄原市田園文化センター 倉田百三文学館
絵画/小早川好古
今月の写真の説明 文責/青森直樹
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