今月の1シーン
2013年5月の写真の説明
2013年05月01日
トップページのフラッシュ動画
石見の妙好人 浅原才市
1枚目
石見銀山(いわみぎんざん)
鎌倉時代に発見された大森(島根県大田市)の石見銀山。2007年7月に世界遺産に登録され、世界中から注目されるようになりました。
江戸時代には幕府の管理の元、多くの坑道が掘られました。以降、昭和18年まで開発は続き、掘られた銀は「銀山街道」を経て日本海に運び出されました。
銀山街道は、今は静かな古道として面影を残し、中国自然歩道として整備されています。
2枚目
温泉津温泉(ゆのつおんせん)
温泉津(島根県大田市温泉津町)は、石見銀山で採掘された銀を運び出す港として栄えてきました。温泉津の名のいわれは「温泉の湧く港町」という意味で、古くは平安時代から温泉が湧き出ていた長い歴史があります。
温泉津温泉が夕闇せまる頃、旅館街にあるお店の軒先には、ぼんぼりに灯がつきだします。そのぼんぼり一つ一つには、浅原才市の詩が書かれてあります。
「さいちが ごほうぎの かぜをひいた
ねんぶつのせきが でる でる」
3枚目
浅原才市(あさはらさいち)
温泉津温泉の元湯の前には、大きな台座の上に数珠をかけて合掌し、ちょこんと座っている浄土真宗で妙好人といわれる浅原才市の像があります。
才市は、今から163年前、江戸時代の嘉永3年(1850)の2月20日に生まれました。
そして、昭和7年1月17日に、83歳で亡くなるまでを温泉津で生活しました。
4枚目
才市の家
温泉津にある才市の家は、大正12年(1923)、74歳の時に建てられたものです。今は「妙好人 浅原才市の家」として一般公開されています。
才市の下駄作りの道具
この家で、才市は妻セツと共に「浅原才市商店」の看板を出し、自らは下駄職人として下駄を作り、履物を売っていました。
家には仕事場の様子が再現され、愛用のノミや金づち、のこぎりやカンナなどが展示されています。
才市の詩
才市は64歳の頃から詩を書き始め、亡くなるまでの十八年間に、九千首以上の詩を書きました。その詩は、八十冊ちかくのノートに残されています。
この書くという行為と、阿弥陀如来との対話によって、念仏の味わいを深め、広めていきました。
「ありがたいのは
あなたので
おもうこころは
なむからもろた
こんなほとけは
よいほとけ
なむあみだぶを
しんじさするよ」
毎年6月5日、6日には、「妙好人 石見の才市 顕彰法要」が二日間に渡り、浄土真宗本願寺派の安楽寺と西楽寺の二ヶ寺で勤まります。
今月の写真の説明/文責・青森直樹
下駄職人の才市は、仕事中でも阿弥陀如来と対話して感じたことを、自ら作った下駄や、かんなくずに書きつけました。そして夕食後、仏壇の前で、かんなくずに書いたメモを取り出して、ノートに清書する生活を十八年間続けました。
このDVD作品は、才市の縁の地や世界遺産の石見銀山などのロケ映像を織り込み、才市の喜びに満ちた証を見ていきます。
DVD「浅原才市 ~石見の妙好人~」
(収録時間45分) 9,450円(税込)
ホームへ戻る