今月の1シーン
2013年11月の写真の説明
2013年11月01日
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親鸞聖人 入滅の地と荼毘所
親鸞聖人は、今から751年前の弘長2年(1262)11月28日(新暦では1月16日)に亡くなりました。
親鸞聖人の命日の前後に、浄土真宗の各寺院では生涯を偲ぶ報恩講が勤まります。
「今月の1シーン」では、京都市にある入滅の地と荼毘所(火葬地)を紹介します。
フラッシュ動画について
1枚目
入滅の地 善法坊(京都御地中学校)
ここは親鸞聖人の入滅の地、善法坊跡です。聖人のすぐ下の弟の尋有僧都の坊舎があった所です。
現在は京都御地中学校の西側、柳馬場通に「見真大師遷化之旧跡」の石碑が残っています。
親鸞聖人は弘長二年(1262)11月下旬頃から体調を崩し、病に伏せられました。世俗のことは口にせず、ただ仏恩の深いことのみを語り、念仏を称えていました。
そして11月28日、聖人90歳の時。頭北面西右脇に臥し、念仏の息を静かに閉じられました。
2枚目
入滅の地 善法坊(本願寺角坊)
親鸞聖人の入滅の地には諸説あり、京都市右京区山ノ内御堂殿町の「本願寺角坊」の地であるともいわれています。平成22年(2010)に大規模な境内整備工事が行われました。
境内には親鸞聖人の銅像と、欄間に御絵伝の入滅のシーンが描かれた、還浄殿と呼ばれる本堂が建っています。
3枚目
荼毘所(大谷本廟)
入滅の翌日29日。親鸞聖人を載せた輿は東山の麓、鳥辺野の延仁寺へ運ばれ荼毘にふせられました。
京都市東山区五条橋東の「大谷本廟」の北側に、親鸞聖人の荼毘所跡があります。日蓮宗実報寺の墓地を通り抜けて階段を降りた所に、「親鸞聖人奉火葬之古蹟」の石碑があります。
4枚目
荼毘所(延仁寺)
京都市東山区今熊野字総山の「延仁寺(真宗大谷派)」も、親鸞聖人の荼毘所跡といわれています。
深い緑の木々に囲まれた石の塀の中央には、「見真大師御荼毘所」と刻まれた石碑と、親鸞聖人像が安置されています。
今月は覚如上人の『御伝鈔』によって、親鸞聖人入滅の地と荼毘所を紹介しました。
親鸞聖人の生涯を述べた『御伝鈔』は、報恩講で拝読されます。
弊社では、CDの『御伝鈔』と経本をセットで発売しています。いつでも聴くことができ、また拝読の練習に最適です。
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今月の写真の説明/文責・青森直樹
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