今月の1シーン
2009年11月1日の写真の説明
2009年11月01日
親鸞聖人の入滅
親鸞聖人は弘長2年(1262)11月28日、京都の善法院にて90歳で亡くなりました。
その様子を『御伝鈔』には、「口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。(略)ついに念仏の息たえましましおわりぬ。」と伝えています。
翌日、親鸞聖人の柩を載せた輿は善法院を出て鴨川をこえ、東山の麓、鳥辺野の南のほとりにある延仁寺に運ばれました。
そして、親鸞聖人のご遺体は静かに荼毘(火葬)にふされました。悲しみをこらえ、最後の別れを告げられる人々の心の中に、親鸞聖人のありし日のみ教えが一つ一つよみがえってくるのでした。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
フラッシュ画像について
一枚目
洛陽遷化(らくようせんげ)
「御絵伝」下巻 四幅目 第六段 第十八図
弘長二年、親鸞聖人90歳の時。聖人は京都押小路の南、万里小路より東、尋有僧都の善法院で病に伏せられました。そして、頭北面西右脇に臥し、遂に念仏の息を静かに閉じられました。
絵画 橘 昭信
二枚目
親鸞聖人の荼毘所跡
右の写真
京都市の東山から山科にぬける醍醐道を600メートル進むと右側に延仁寺(京都市東山区今熊野)があります。大谷派では、延仁寺正面の駐車場より北に坂を上った所を親鸞聖人の荼毘所としています。この地に1883年(明治16)東本願寺21代厳如上人の命により荼毘所が設けられています。
左の写真
本願寺派では、京都市東山区五条橋東の大谷本廟東北の飛地境内に「親鸞聖人奉火葬之古跡」の石碑があり、その地を荼毘所と推定しています。
親鸞聖人の荼毘所跡については「洛陽散策」で紹介しています。
三枚目
葬送荼毘(そうそうだび)
「御絵伝」下巻 四幅目 第六段 第十九図
親鸞聖人を載せた輿は、東山の麓、鳥辺野の延仁寺へ運ばれ、荼毘にふせられました。集まった人々は聖人との別れを悲み涙を流している場面です。
絵画 橘 昭信
四枚目
本廟創立(ほうびょうそうりつ)
「御絵伝」下巻 四幅目 第七段 第二十図
文永九年、親鸞聖人が亡くなられた十年後、末娘の覚信尼が大谷の墳墓を改め、吉水の北の辺りに移し、ご影像を安置した廟堂の様子です。
絵画 橘 昭信
今月の写真の説明/文責・青森直樹
DVD「親鸞伝」は、報恩講で親鸞聖人を偲ぶ機会に本堂余間に掛けられる「御絵伝」の一つ一つを解説しています。
DVD「親鸞伝」上巻
DVD「親鸞伝」下巻
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