今月の1シーン
2011年2月の写真の説明
2011年02月01日
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涅槃会(ねはんえ)
2月15日には、涅槃会が行われます。
お釈迦さまが80歳になった時、お弟子のアーナンダと共にインドのラジギールにある王舎城を出発して、生まれ故郷のカピラ城に向かう旅に出ました。パーヴァー村に入られたお釈迦さまは、鍛冶職人のチュンダの供養した料理がもとで食中毒になり衰弱します。余命いくばくもないことを感じたお釈迦さまは、それでも旅の途中で立ち寄った村の人々に教え説くことをやめませんでした。
お釈迦さまはクシナガラまで来ると、アーナンダに向かって沙羅の樹のあいだに床を用意させ、頭を北に、顔を西に向けて横たわりました。お釈迦さまは悲しみくれるアーナンダを呼びよせ、「さあ比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。形あるものは滅びゆく。怠ることなく努めよ。」(『マハーパリニッバーナスッタンタ』)と最後の言葉を遺し、涅槃に入りました。お釈迦さまが入滅されたことを、「涅槃(ねはん)」といいます。2月15日のことだったといいます。
フラッシュ動画について
一枚目
涅槃堂
クシナガラの「マタ・クンワール・カ・コット」遺跡の中にある涅槃堂です。
その涅槃堂の前には沙羅樹(サーラジュ)があります。お釈迦さまが涅槃の時、沙羅樹と沙羅樹の間に休まれたのでそれ以降、沙羅双樹と呼ばれるようになりました。
涅槃堂はビルマの仏教徒によって建てられました。その後1956年にインド政府が現在のように改修しました。それより先、1911年、この涅槃堂のうしろの塔跡から、この地がお釈迦さまが入滅された地であると刻印された銅板が発見されました。だからここがお釈迦さまの四大聖地のうちの「涅槃の地」であったことが証明されたのです。
[写真 久保雅志]
二枚目
涅槃像(涅槃堂内部)
この涅槃堂に安置されているお釈迦さまの涅槃像は、5世紀頃に一度安置されました。しかし、イスラム教徒のインド侵略の際、破壊から逃れるために信者が地中深く埋めました。それが1876年に発見、修復され、こうして再び安置されたのです。長さ6メートル18センチもある大きな涅槃像です。
[写真 久保雅志]
三枚目
お釈迦さまの涅槃(サールナート考古博物館 蔵・5世紀頃 八相図の一部)
お弟子たちがお釈迦さまの涅槃を見送る場面の彫刻です。
お弟子たちが悲しみのあまり両手をあげてのたうちまわったといわれます。
四枚目
アーナンダの悲しみ(スリランカ・ポロンナルワ遺跡)
その後、お釈迦さまの教えはインドの南にあるスリランカに伝わりました。
スリランカのボロンナルワ遺跡のガルビハラには、アーナンダがお釈迦さまの涅槃を悲しんでいる様子を岩石に彫った彫刻があります。
阿難立像は高さ7メートル。お釈迦さまの涅槃像は14メートルもあります。
今月の写真の説明/文責・青森直樹
参考資料/『お釈迦さまの地 インド』 文・写真 久保尚志 すねいる発行
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お釈迦さまが入滅後、お釈迦さまの教えを後の世に遺すために、経典の編纂がアーナンダなどの弟子たちによって行われました。
「我聞きたまえき、かくのごとき…」から始まる『大無量寿経』も、アーナンダがお釈迦さまから聞いた教えを記したものです。親鸞聖人は、この『大無量寿経』を浄土三部経の一つとして大切にされました。
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