今月の1シーン

画像: 2015年7月の写真の説明

2015年7月の写真の説明

2015年07月01日

7月のホームページフラッシュ
お盆


七月に入りお盆の季節になりました。お盆の行事は、七月十五日に新暦の盆、八月十五日の月遅れの盆が行われます。
このお盆は、盂蘭盆会(うらぼんえ)とも呼ばれ、仏教の教えがもとになっています。

今月の1シーンは、お盆(盂蘭盆会)の由来になっている『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』に記された、お釈迦さまの十大弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)と亡き母親の物語を見ていきます。



フラッシュ動画について


1枚目

『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』

『仏説盂蘭盆経』は、中国の西晋時代(265〜316年)に活躍した僧、竺法護(じくほうご)が翻訳したといわれています。お盆の「盆」という言葉もこの「盂蘭盆」を簡略にしたものです。

お経は「如是我聞(にょぜがもん)」や「我聞如是(がもんにょぜ)」の言葉からはじまりますが、『盂蘭盆経』も「聞如是(もんにょぜ)」という言葉からはじまっています。これはお経が結集された時に、阿難尊者(あなんそんじゃ)が「私はこのように聞きました」と言って、お釈迦さまの説法の内容を話されたからです。

写真は『盂蘭盆経』が説かれた場所、インドのコーサラ国の首都、シュラヴァスティーの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で、お釈迦さまが目連尊者などのお弟子に法を説かれている様子です。
この時に、六神通という能力を得た目連尊者は、亡き母への「乳哺の恩(にゅうほのおん)」、乳をふくませ育ててくださった恩に報いたいと思いました。



2枚目

餓鬼道(がきどう)に堕ちた母

目連尊者は六神通を使って、天上界から地獄まで見渡して母を捜しました。なんとそこには餓鬼道に堕ちて骨と皮になり、お腹だけが突き出た母の姿がありました。目連尊者は、すぐにご飯を鉢に盛って母親のもとに行き、食べさせようとします。しかし、母親が口にご飯を入れようとするとたちまち燃えて、とうとう食べることが出来ず、目連尊者は悲しみました。



3枚目

餓鬼道に堕ちた理由

目連尊者の母は、なぜ餓鬼道に堕ちたのでしょうか。
『盂蘭盆経』には、父親については触れずに、母親だけが餓鬼道に堕ちたと記されています。
そして、「汝(なんじ)の母は罪根深結(ざいこんじんけつ)なり」とだけあり、具体的な餓鬼道に堕ちた理由は記されていません。

写真は、赤ちゃんの時の目連尊者を抱く母の様子です。母は我が子を育てるのに、時には心を鬼にして育てます。目連尊者のためにやむをえず罪を犯して、その報いで餓鬼道に堕ちてしまったのかもしれません。
母が餓鬼道に堕ちてまで自分を守り、育ててくれた気持ちを知った目連尊者は、その感謝の気持ちを1枚目で紹介しました「乳哺の恩(にゅうほのおん)」、乳をふくませ育ててくださった恩に報いたいと思ったのではないでしょうか。



4枚目

救われた母

お釈迦さまは、目連尊者に「安居(あんご)が終わった七月十五日に盂蘭盆会(うらぼんえ)を営みなさい。そして、僧侶だけに対するものと思わず、すべての人々、そして父母、祖父母や先祖に、今の自分があることの感謝を込めて供養しなさい。」と教えられました。
目連尊者はその教えの通りに実践し、母は餓鬼道の苦しみから救われました。

「今月の1シーン」は、目連尊者と母親の物語を見てきましたが、お盆の行事を目連尊者のように、母親に感謝する日として受けとめてはどうでしょうか。今年は5月10日が「母の日」でしたが、お盆の期間は遠くにいる家族も集まりますので、もう一度仏教徒として亡き母を偲び、感謝の気持ちを伝える大切な日にしてはいかがでしょうか。



今月の写真説明
絵・小早川好古
文責・青森直樹




「お盆」その言葉が『日本書紀』の中に初めて出てきたのは、西暦657年です。
そこには「須弥山石」を造り盂蘭盆会をしたと記されています。
この作品では「須弥山石」を飛鳥路に訪ね、また『仏説盂蘭盆経』の目連尊者と餓鬼道に堕ちた母親の物語を収録しました。
餓鬼の凄まじさを京都国立博物館や聖衆来迎寺にある絵巻物から見ながら、「お盆」の由来とその意味を詳しく紹介しています。

ブルーレイ
「お盆  ルーツをたずねて」
(収録時間27分) 7,200円(税抜)




今回紹介しました目連尊者と母親の物語を中心に、お盆の行事の意味についてのお話です。

CD「お盆 目連さま」
お話 間野大雄 2,000円(税抜)





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